帚木蓬生 その2

この2回目の梅雨とも言うべき長雨、各地で被害が出ています。 予報ではまだ数日続くようです。 ”50年に一度”があちこちで。 コロナの急激な感染拡大も全国規模、線状降水帯もコロナもどうにかならないものでしょうか!? 観測史上最多、過去最多の言葉がしばしば耳に入ります。

さて帚木蓬生、その1では、病棟シリーズや三たびの海峡のことなどを記しました。 開業医として活動しながら、執筆活動を続けていること、尊崇の念を禁じ得ません。

今回は、『襲来』(上下巻)のことを書きます。 襲来とは元寇=蒙古襲来のこと。 下巻の解説の前頁に掲載されている参考文献のその数97件、その文献の数々を読み解いての執筆、まさに大河の一滴々々を搾り取ったものが作品なんでしょうね。

鎌倉時代の仏教の僧「日蓮」は、「立正安国論」を時の最高権力実力者にして鎌倉幕府第5代執権の北条時頼に提出。 この「立正安国論」には、為政者がこのまま悪法への帰依を続けたならば、自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)が生ずると予言・警告をしています。

小説は、日蓮に仕えていた”見助”がその耳目となり、九州の対馬に一人で赴く物語です。 上巻の見助の道中の描写は少々長かった(本読みが進まない)気がします。 見助が対馬に渡ってからの下巻では襲来の様子がリアルに記述されています。

文永11年(1274年)10月、3万数千人の蒙古・高麗軍が対馬と壱岐に上陸、防備の武士を全滅させ、さらに博多湾に上陸し、日本側は深刻な被害を受けた。 日蓮は2年後の建治2年(1276年)に記した「一谷入道御書」で対馬・壱岐の戦況を記述しているとウィキペディアにあります。
ですので、見助が架空の登場人物であったとしても、日蓮は何かしらの手立てで状況を掌握していたのでしょうね。

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