山口県から大阪堺市へ

前回の記事で、梅田事務所に3ヶ月間出向していたことに少し触れました。 徳山で快適なアパート暮らしをしていたので、寮での生活は馴染めませんでした。
出向時の住まいは寝屋川市にある寮でしたが、只々寝起きするだけの場所であり、当時は出向解除の日を指折り数えていました。

(ところでふっと思ったのですが、3ヶ月の間マイカーをどうしてたか思い出せません。 路上駐車がそれほど厳しくなかった頃とはいえ、駐(と)めっぱなしでは問題があります。 誰か友だちにでも預けていたのかな?)

さて、山口から大阪へ引っ越すことになりました。 この時は短期の出向ではなく、転勤の辞令でありショックでした。 今度の住まいは高石市にある寮で、堺事務所での勤務が始まりました。 その後も富田林事務所を任されたり(朝ドラおちょやんの生まれたところ)、業務から事務管理へ職種変更、さらに大阪、奈良へと異動を繰り返します。

前にも記しましたが、人員不足、人材不足の会社であったため管理職への登用も早かったですが、もちろん能力を発揮できなければ左遷も早いです。(笑)

なかには入社してから定年まで、同じ部門で働いてほとんど異動の無い人もいます。 山口から追い出され時は嫌でしたが、後から考えれば大きな組織では学ぶことも多くありました。 同世代の仲間もおり、次第に大阪での仕事や暮らしにも慣れてきました。

さて、青春から朱夏へと言ってもはっきりした線引きがある訳ではありません。 このブログも個人的な趣味に偏ったものですので、記事の内容はあまり変わりません。

新しい土地々々で、新しい遊びに挑戦?していったことをこれから記して行きます。

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