サンディエゴ その2

辛坊さんの記事を続けます。 来年4月に日本を出発し、前回と同じくサンディエゴを目指す計画を水面下で進めているそうです。

およそ30年ほど前に、サンディエゴには一度訪れたことがあります。 もちろんヨットハーバーが目当てです。 それこそ広大で素敵な芝生の公園があり、隣接して世界有数のヨットハーバーがあり、バース( 船の係留施設)には大きな外洋クルーザーが艇数も数え切れないほどもやわれていました。 日本では見られない美しい景観でしたね。

サンディエゴに結びつくのは、デニス・コナーです。 Wikipediaの「アメリカスカップ」の記事には、《1983年の第25回大会においてNYYC所属の「リバティー」号がオーストラリアのロイヤル・パース・ヨットクラブから出場した「オーストラリアII」号に敗れ、アメリカズ・カップは初めてアメリカ国外へ渡ることとなった。

「リバティー」号のスキッパーであったデニス・コナーは「カップを失った最初のアメリカ人」としてアメリカ中からの非難に晒されたが、1987年オーストラリアのフリーマントルで開催された第26回大会に自らのチームを率いて乗り込みカップ奪回に成功した。 

コナーは一転アメリカンヒーローとして凱旋し、ロナルド・レーガン大統領によってホワイトハウスに招待され、"ミスター・アメリカズカップ"と称されるようになった。 カップ奪回に賭けたコナーの苦闘は小説化され、映画「ウインズ」の題材にもなった。

しかし、1995年の第29回大会にサンディエゴ・ヨットクラブからチーム・デニス・コナーを率いて出場したコナーは、ニュージーランドから出場したラッセル・クーツ率いるチーム・ニュージーランドに敗れ、コナーは「カップを2度失った最初のアメリカ人」という汚名を着ることとなった。》とあります。(抜粋)

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