どなたにも、思い出の歌がいくつかあると思います。 世代によって青春ソングは違うでしょうし、またそれぞれ人によっても異なると思います。 でも、あの頃、あんな歌が流行っていたと言うのは共有しているところもあるでしょうね。
学生時代、ビリー・ヴォーン(USAの出身のヒット・メーカー、調べるまで、ドイツの人だと勘違いしてました)を良く聴きました。 その中で『九月になれば』という曲があり、何となく9月になれば何かいいことがあるんじゃないかと淡い気持ちを抱いたものです。 『峠の幌馬車』、『夕日に赤い帆』など大好きな曲ばかりでした。
渋川海岸、初めての夏、海水浴客が多く訪れ、海の家がたくさん開店し、そこにはジュークボックスが置かれてました。 よくかけたのは、いしだあゆみの『太陽は泣いている』です。 『ブルー・ライト・ヨコハマ 』は同年12月のヒット曲です。
その頃の、煙草のCM(セブンスターだったかな?)で、青い空に白いハンググライダーがソアリング(滑翔)しているシーンがあり、ベンチャーズの『ブルースター』が流れていて、何となく鷲羽山を勝手にイメージしました。
当時、車の運転免許もなく、牛窓には行けませんでしたが、後年大阪に住んでいた時思い立ち、牛窓へドライブしたことがあります。 牛窓は、「東洋のエーゲ海」とも呼ばれ、やはりすぐに結びつくのは、ポール・モーリアの『エーゲ海の真珠』ですね。
さて、牛窓は私の最も住んでみたいところです。 地震が少ない、雨が少ない、台風の影響が少ない、津波の影響が少ない、原発から離れているなどのメリットがあります。
最大の理由は、西日本最大級のヨット・ハーバーがあり、島々が浮かぶ景観に惹かれたからです。 白秋の時期が終わり、玄冬の頃には、のんびりヨッティングや釣りをしてみたいです。 でも資金がないのと、知己がいないので、まぁ移住は夢でしょうかね。
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