前の記事で、和田竜の『村上海賊の娘』を記しました。 ウィキペディアでは、この本は「長編歴史小説」と説明されています。 ところで「歴史小説」と「時代小説」の線引きはどうなのでしょうか? その定義としては、文学の上ではかなり明確な区別があるらしいです。
村上武吉に娘がいたのは史実らしいですが、主人公の景(きょう)はあくまで創作(フィクション)ですので、私的には「時代小説」なのかなと思っています。
まぁこだわる気は全く無いですし、楽しく読めれば何も問題ありませんが・・・
さて、歴史小説はもちろん大好きですが、時代小説も大好きです。 今、隆慶一郎にはまっており、全作品を読むつもりでいます。
通読した作品は、『吉原御免状』、『影武者徳川家康』、『捨て童子・松平忠輝』、『死ぬことと見つけたり』、『花と火の帝』などですが、どれも史実を押さえた上での、発想の特異さ斬新さがすごいです。 道々の輩(漂白の民)・・・傀儡子(くぐつ)、山窩(さんか)、風魔衆や八瀬童子・・・が躍動する様子が描かれています。
隆慶一郎本人のエピソードもすごいですね。 東京大学文学部仏文科卒、高校時代から乱闘騒ぎやら喧嘩の逸話が多くあり、無頼漢ぶりがうかがえます。
この彼にして、「還暦を過ぎるまで小説を手掛けなかった理由については、かつて師事した小林秀雄が存命の間は、とても怖くて小説は書けないと思っていた」と、小説の後記などで語っています。
小説家としては実働わずか5年、66歳没、『死ぬことと見つけたり』、『花と火の帝』が絶筆(未完)作品となっています。 未完ながら楽しく読みました。
〔名が似ていて、混同しやすい時代小説作家に、峰隆一郎がいます。〕
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